【日記】ARIA The CREPUSCOLOを見に行ったよ~【感想】

アニメ

せろりんです。公開中の映画「ARIA The CREPUSCOLO」を見に行ったときの日記を書きます。ネタバレがあります。

JRで昭島駅まで来ました。

ARIAはマイナーなアニメなので上映館がすごく少ないんですが、それでも東京に住んでいれば割と近所に上映館が見つかるのが素晴らしいです。前に住んでた北海道だと、札幌まで行かないと絶対やってないですからね。

まあまあ雨が降っている中、何分か歩いてなんとか到着しました。MOVIX昭島です。

ちなみにおれが行った回は、声優数名と佐藤順一(総監督・脚本)と名取孝浩(監督)が出演する舞台挨拶のライブビューイングが冒頭に付いていました。

べつにライブビューイングがある日を狙って行ったわけではないんですが、都合いい日の都合いい時間を狙って行ったら偶然こうなりました。偶然って雨粒みたい。私達の周りにはいろいろな偶然が降っていて、一粒一粒が素敵な奇跡の種なのかもしれないね。恥ずかしいセリフ禁止!

そういうわけで鑑賞しました。でっかい良かったです。3回くらいガチ泣きしました。特にアテナさんが歌の神様に内心を吐露するモノローグでおかしくなるくらい泣いてしまいました。言われてみればプリマ飛び級昇格は流石にやりすぎです。ぶっちゃけゴンドラ協会の政治的意図を感じます。オレンジぷらねっとは業界の中ではデカい企業なので、ゴンドラ協会に顔が利くんでしょう。なんかドーンと伝説的な出来事を起こして会社の名前をアピールしたいのはビジネスとしては良い手段のように思いますし、なによりアリスには伝説の登場人物になるだけの能力があります。一方で、晃・アリシアと合同で練習をしていたアテナには、半人前の状態で友達と過ごすあの日々の大切さ、美しさ、かけがえのなさが、よくわかります。アテナはカンツォーネ以外は言うほど凄くない歪なステータスを持った人間です。弟子のアリスだって、船漕ぎ以外はイマイチな、歪な人間です。歪な人間は成長スピードも歪なはずです。自分がそうであったように、アリスだってゆっくりと成長していくべきだと、アテナは考えました。だから飛び級合格はやりすぎだし、かけがえのない合同練習の時間をもっと大切にするべきだし、なんだったらアリスは合格するべきではないと、アテナは考えていました。ところがアリスは、アテナが考えているよりもずっと早く成長していました。歪な人間は成長スピードも歪であるから、時に驚くほど早く成長してしまうわけです。ところでアリス・キャロルは初登場の時点で14歳です。中学出たか出ないかくらいの年齢にして「魔女のベファーナなんて居ない」「大人はつまらない」「私は悪い子だから靴下には炭しか入れてもらえない」「その炭すら自分で入れることになる」などと言うのは流石に夢が無さすぎです。このへんの発言からもアリスの成長スピードの早さが伺えるわけですが、一方で「大人はつまらない」などと体験してもないことを決めつける姿勢には、やはり歪な成長に特有の危うさを感じさせます。歪ゆえに危なっかしい勢いでアクセルをふかしまくるアリスのブレーキとして登場するのがアテナ先輩です。歪なアリスを歪なアテナ先輩がカバーする、という構図は、ARIA The ANIMATIONの6話「その 守りたいものに・・・」を連想します。左手お仕置きキャンペーンの回ですね。右手でゴリゴリに文字を書くことができるのは、実は左手がノートを抑えているから、というわけです。この、歪さを二人で補う関係性が表現されているのがオペラホールで歌ったカンツォーネですよね。申し訳ないですがこれにはせろりんもでっかいガチ泣きです。

『ARIA The CREPUSCOLO』歌唱PV

ところでこの映画には一貫して「大人になるのは素晴らしいこと」というテーマがあるようです。このテーマが最初に現れるのは、シルフのアレッタが、アーニャと一緒にネオ・ヴェネツィアの空を飛ぶシーンです。空に憧れていたアレッタは、空を駆けるようになって初めて自分が住んでいた街、つまり地面の本当の美しさを知りました。ぶっちゃけこういうのはよくあることです。元カレの良さは今カレを知らないとわかりませんし、故郷の良さは都会に出て初めてわかるものですし、子供の頃のすばらしさは大人になってはじめてわかるものなのです。行ける場所が増えること、視野が広がること、つまり大人になることの素晴らしさを比喩的に伝えているのがアレッタのエピソードです。次に「大人になるのは素晴らしいこと」というテーマがダイレクトに現れているのが、魔女のベファーナの話です。魔女のベファーナのコスプレをしたアテナ先輩は「子供の頃は楽しいことが向こうからどんどんやってくる」「でもいつもいっぱいいっぱい」「大人になればそれまで見えなかった素敵な世界に気づくことが出来る」と言います。大人になることの素晴らしさを説いているわけですね。これはまさにARIA The ANIMATION 11話「その オレンジの日々を・・・」に登場する「あの頃は楽しかった、じゃなくて、あの頃も楽しかった、だな」という有名なセリフの言わんとしている事と、まんま一緒です。「大人になるのは素晴らしいこと」というテーマが最後に現れるのは、ウンディーネ勢揃いで朝日を見るシーンです。このシーンでは、夜闇の美しさは、朝日が出て初めて気づくことができるものだという主張がされています。そういえば「CREPUSCOLO」は「夕暮れ」という意味だと思っていたんですが、実は「あけぼの」「薄明」という意味もあるらしいです。つまり夕日のことを表す単語であるのと同時に、朝日のことも表すことが出来るようです。おれはイタリア語のことは全然わからないので、この情報自体が間違ってたらすみませんという感じなんですが、それを踏まえて見ると、やはりタイトルの「CREPUSCOLO」は最後に見たあの朝日のことを表しているような気がします。夕暮れの美しさがわかるのは夜が来るからで、夜の美しさがわかるのは朝日が登るからなんですよね。おれも多くのARIAファンと同じように、「ARIA The ORIGINATION」で皆がどんどんプリマになっていく光景にものすごい寂しさを感じた人間の一人ですけど、今になって思うと、あれには寂しさ以上のものがたくさん詰まっていたんだろうと思います。ところで「大人になるのは素晴らしいこと」というテーマは、実はおれたちに向けられたものではなく、アテナ先輩に向けられたものだったのかもしれません。アテナ先輩は、アリスの手を守っていたペアの手袋を一度に外すことで、もっとゆっくり成長するべきアリスを大人にしてしまいました。アテナ先輩はそのことに何やら後悔を抱いていたようですが、でも、べつにいいんです。大人になるのは素晴らしいことですから。そういうわけで、CREPUSCOLOはオレンジぷらねっとの回だと思っていたんですが、実は考えれば考えるほどARIAそのもののような話だったな、と思います。素晴らしい映画を見せてくれてでっかいありがとうです。もう1回劇場に見に行きたいです。たぶん行きます。

そういえば舞台挨拶ライブビューイングで声優のどなたかが「映画が終わった後も雨は降ってるかもしれないけど、それも素敵だと思える。明日は晴れるかもしれないけどそれも素敵だと思える。そういう映画です」みたいなことを仰っていました。実際、映画が終わった後はかなり強い雨が降っていたんですが、花びらが歩道を彩っているこの美しい光景は、恐らく雨が降らなければ無かったものなので、やっぱりARIAに出演する声優さんともなると本当のことしか言わないんだな、と思いました。

ちなみに特典は灯里とアリシアさんの原作絵コースターでした。さすがにコースターとして使えるわけもないので記念にとっておきます。

舞台挨拶ライブビューイングで、声優さんの誰かが「恥ずかしいセリフ禁止上映をやりたい」みたいなことをおっしゃっていました。恥ずかしいセリフが登場したときに「恥ずかしいセリフ禁止!」と突っ込むことができるという謎の上映方法らしいです。ただ最近はコロカスが蔓延しているのであんまり叫ぶことができません。なので妥協案として、押すと「恥ずかしいセリフ禁止!」の音声が流れるボタンを配布すればいいじゃん、と謎のシステムが提案されていました。楽しそうですね。ぜひやってほしいです。

とりあえずお腹が空いたのでテイクアウトしたガパオライスをそのへんの屋根があるベンチで食べます。これはホンモノのガパオライスです。ガパオとはホーリーバジルとか言う謎のバジルのことで、日本でよく食べられるスイートバジルを使ったものはニセモノらしいです。まあニセモノだからダメということも無いとは思うんですが、とはいえホーリーバジルの入ったホンモノを一回食べてみたかったので、ちょうどいい機会だと思って食べました。美味かったんですがホーリーバジルの味はよくわかりませんでした。一体なにがホーリーなんでしょうね。

ARIAといえばイタリアアニメなので、本格高級イタリアンが食いてえなと思ってサイゼに来ました。ここは高尾駅前のサイゼで、春になると2階の席から桜が見えるという、この街の素敵スポットです。食べているのはティラミスです。サイゼのティラミスはメチャうまいです。

ところで、おれがこうやって暇があれば散歩に出かけて、桜が見える良い感じのスポットなんかに目を向けるようになったのは、間違いなくARIAの影響です。おれの生活に影響を与えたアニメランキングを作るとすれば、ARIAは間違いなくダントツ1位です。

ARIAを見て「ネオ・ヴェネツィアに行きたい」「こういう世界に生まれたかった」みたいなことを言う人はメッチャ多いです。おれもそう思います。けど、よくよく考えると、ネオ・ヴェネツィアなんて、ろくなところじゃないに決まっています。この地球のヴェネツィアがそうであるらしいように、ネオ・ヴェネツィアなんて、どこの馬の骨かもわからない観光客がひっきりなしに来て、車も電車も無いから不便だし、前を歩いている人はスリかもしれないし、そこらじゅうにゴミが放置されていて、水路だってドブ臭いに違いありません。それでもネオ・ヴェネツィアが素敵なのは、それを見ている水無灯里さんが素敵な人間だからです。

だからおれもそういうふうになれたらな、と思って、頑張って街の素敵な部分を探すようになりました。とはいえ、おれは別に素敵な人間ではないので、水無灯里さんのようにはいきません。ぶっちゃけ無理してやってます。散歩に出るのはしんどいときもあるし、ずっとニコニコしてるのも限界があります。それでも、ひとかけらくらいはARIAの世界みたいに生きてみたいなと思って、今日も性に合わず無理して頑張って、きれいな花を探したり、レアな鳥を見つけようとしたり、日当たりの良いところにとどまったり、美味しそうなご飯を食べたり、面白いアニメ映画を見たりしています。恥ずかしいセリフ禁止!

せろりんでした。

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