「小春ピエロ編」とはなんだったのか それと「ひよりちゃんが悪いんだもん編」について(スローループ感想・考察)

アニメ

せろりんです。

おい!スローループ9巻、読みましたか?圧巻の新機軸「ひよりちゃんが悪いんだもん編」がスタートしています。

そういうわけで長めの感想を書きます。原作9巻までのネタバレがあります。アニメしか見ていない人は原作を読みましょう。

ひよりちゃんが悪いんだもん編、開幕

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第8巻(株式会社芳文社,2023)p.96より引用

小春ピエロ編は7巻で終了し、8巻からはひよりちゃんが悪いんだもん編が始まっています。8巻の中盤では、「ひよりお姉さんのだめなところとか 変わってほしくないなって思っちゃったりして…」と悩む二葉に対して「ひよりちゃんが悪い!!」と突然叫ぶ小春が登場します。

このあたりを境にひよりの悪描写はあからさまに増えます。キリがないので箇条書きします。
・妹離れを赦した直後の小春の前で吉永恋のことを褒めまくり、逆に姉離れを言い渡される
・妹離れ中に「今頃ひよりちゃんもきっとさみしく感じてるはず…」と漏らす小春をほっといて爆睡
・小春の卵焼きは食べないのに吉永恋の卵焼きは食べる
・二葉と夏祭りに行く――ひよりには吉永恋や小春というものがありながら、そして二葉には藍子というものがありながら――この回の冒頭は次の独白で始まる。「年に一度だけの特別な日 織姫と彦星が 天の川を渡り出逢える日」
・小春に向けて投げられたブーケを受け取る

この通り、悪行を重ねているわけです。スローループって百合漫画ではあるものの、たとえば「MyGO!!!!!」とか「わたゆり」のようなドロドロした描写はほとんどまったく出てこない平和的な世界観でやっています。そういう世界観だからひよりには未だに命があるだけで、MyGOやわたゆりのような世界だったらすぐにでも刺されるような行動をとっているのがひよりです。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第8巻(株式会社芳文社,2023)p.174より引用

見ての通り「ひよりちゃんが悪いんだもん…」はガチで言っています。「悪い」とか言われがちな他の作品の様々なキャラクターと同様に、ひよりの”悪さ”は、モテそうな行動をとっていて実際モテるくせに、そのことに気づいていない点にあります。8,9巻はひよりの三股を描きつつ、ひよりの内面に迫った話だと言ってもいいでしょう。

小春ピエロ編とはなんだったのか

一方で、スローループの6,7巻は、小春の内心に焦点をあてた話でした。このあたりのストーリーのことを、おれは勝手に小春ピエロ編と読んでいます。

6巻では、天真爛漫で裏表のない性格のように描かれていた小春が、実際のところは家族や友人の顔色を伺いながら、自分の気持ちに蓋をして無理に明るく振る舞って生きてきたことが明らかになります。まず土屋みやびの口から「小春はさ… ピエロなんだよ」と語られることで、中学時代の小春の性格が明かされます。その後に、小春本人のモノローグとして「結構 私は打算的だ」と自分を評価していることが明かされるわけです。2巻あたりから既に打算的に振る舞っているピエロっぽい描写はありましたけど、登場人物の口から小春のピエロ的性格が明言されるのは6巻が最初です。

続く7巻では、海凪父の口から、ひよりに対して「小春は突拍子もない行動はするけど わがままを言ったことはなくて」「本当にありがとう 小春をわがままにしてくれて」と語られることで、現在の小春が割とわがままであることが強調されます。最後に、鍋のシメをうどんにしたいと言うひよりに対して、小春が「いやいや ラーメン一択でしょ!」と強硬に主張する姿を描くことで、現在の海凪家が、わりとどうでもいいわがままを言える関係になっていることが示されます。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第7巻(株式会社芳文社,2022)p.174より引用

要するに、ひよりと出会うまでの小春はピエロだったし、小春本人は今でも自分のことを打算的だと思っているけど、ひよりと出会ってからの小春はわがままを言えるようになっていて、ピエロではなくジョーカーになっているということを表現しているのが6,7巻だったわけです。

小春はいかにしてピエロをやめたのか

ところで、小春がピエロをやめたのは何故でしょうか。素直に考えれば「ひよりと出会ったから」なわけですが、よくよく考えると、これは半分間違いです。ひよりは「小春がわがまま言わないって… 私には最初からそんな事全然ないけど!」と言っていますし、実際、小春とひよりが初めて出会ったとき、小春は横須賀の堤防から海に飛び込もうとした挙げ句、出会ったばかりのひよりに刺し身を作らせていたわけですから、出会う前からピエロをある程度やめていたはずです。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第6巻(株式会社芳文社,2022)p.40より引用

小春は海凪父の口から、死んだ父親との思い出にこだわって海のそばから引っ越すことを受け入れない再婚相手の娘としてひよりのことを知ります。この後に「――少し憧れた その子も土屋さんも 私が出せない感情を出せる事に」と語っているように、小春にはわがままを言うことに対する憧れがあります。土屋みやびと、そして噂に聞く再婚相手のわがままっぽい娘の噂とに影響されて、おそらくは引っ越しと親の再婚を期に、心機一転あたらしい家族には自分の気持ちを素直に言うように決意したことで、小春の中から悪いピエロの影は姿を消したのでした。

それから時は流れ、小春はひよりに出会うわけですが、いざ出会ってみるとひよりは小春にとって思ったよりやべー奴で、ひよりの影響で小春の中にかろうじて残っているピエロは完全に姿を消すのです。ひよりのなにがやばいのかと言うと、自分の気持ちを素直に口にする性格です。

たとえば、小春が作った魚醤チャーハンを食べたひよりは「悲しい気持ちは消えないかもしれないけど 小春の料理は優しい気持ちに変えてくれるような そんな味がする」なんて言ってしまうのです。プロポーズか?と思ってしまうような恥ずかしいセリフをモロにくらった小春は「結構 私は打算的だ」「でも ひよりちゃんの言葉はいつでもまっすぐで …ふりまわされてるのは 私の方だ」と、打算的である(と小春本人は思い込んでいる)自分のことと、打算性の無いひよりの発言とを比べて一人でダメージを受けることになります。このエピソードに代表されるように、小春はひよりの、打算のない素直な物言いにずっとドキドキしているわけです。

小春はなぜピエロになったのか

ところで、皆さんは果たしてピエロでしょうか?おれは、そりゃあもうピエロです。ムカつくことを言われてもヘラヘラしていますし、周りの人間に嫌われないためなら損をしても構わないとすら思っています。

こうしたピエロ性は、おれや小春のように極端ではないとしても、皆さんの中にだって少しはある性質です。我慢の無いコミュニケーションは存在しないわけですから、おれたちが生きていく上ではどうしても若干のピエロ成分が必要になるのです。

とはいえ、小春のピエロっぷりは土屋みやびに指摘されてしまうほどには目立っていて、おそらく小春は自身の過剰なピエロっぷり故に様々な苦労をしてきたはずです。ピエロ成分は少なすぎるとKYとかジコチューとか呼ばれて詰んでしまう一方で、多すぎて自己犠牲的になりすぎてもそれはそれで不幸なのが難しいところです。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第3巻(株式会社芳文社,2020)p.153より引用

おれや小春の中に巣食うピエロは、和を乱すようなことをした結果として手痛い失敗をしてしまった過去の体験から発生しています。小春は、実の母親と弟が生きているときには、よくわがままを言っては、不機嫌になって周りを困らせていた子供らしい子供だったようです。それだけだったら地球上に何億人もいる普通の子供でしかありませんが、ところが小春の場合は、そうしてわがままを言い続けているうちに弟と母親を交通事故で亡くしてしまいました。

幼い頃の自分のわがままをどう思っていたか、不快に思っていなかったか、許してくれるか、そういうことは、母親と弟が生きてさえいれば直接聞いて確かめることができたはずなのに、死んでしまったのでもう確かめることはできません。6巻で、あまり見舞いに行かなかった自分のことを癌で死んだ父親がどう思っていたかを気にして落ち込んでいるひよりに対して「だから ひよりちゃんが決めていい」「ひよりちゃんの中のお父さんが 決めていいんだよ」というセリフが小春の口から咄嗟に出てきたのは、小春が自分の中にいる死んだ弟や母親と既に何度も対話してきたからにほかなりません。スローループはコミュニケーションを描いた漫画である一方で、死はコミュニケーションがまったくできなくなる現象です。生を描くことで死のかなしさを表現し、死を描くことで生きること―釣りをしたり、ご飯を食べたりすること―の重要性を描写しているのがスローループという漫画です。

さて、小春の理屈で言えば、弟と母親が小春のことをどう思っていたのかは、小春の中の弟と母親が決めていいはずです。なのに、小春は自分で「私は あんまりいいお姉ちゃんじゃなかったから」と決めてしまいました。その日から小春は、いいお姉ちゃんとして、いい人間として、つまりピエロとして、和を乱さずに生きていくようになったのでした。自分さえピエロを演じていれば、同じ過ちは繰り返されないのです。

もちろん、ピエロが一方的に我慢を重ねるのは、ピエロ本人にとっても相手にとっても望ましいコミュニケーション方法ではありません。おれたちピエロがもしピエロでなかったとしたら、もっとうまいやり方があったはずなのです。たとえば、ムカつくことをされてもその場で「そういう言い方はちょっとやだな」とか「唐揚げ、最初はレモンかけないで食べたほうが美味しくね?笑」のように、相手の嫌なところをやんわりと指摘して、モヤモヤした気持ちをその場でガス抜きしつつ相手の言動を自分好みに矯正することができたはずです。相手だって、すべてを我慢してヘラヘラしていられるよりは、嫌なところがあればやんわりと指摘してくれたほうがうれしいに決まっています。

友達の多そうな小春が6巻で久しぶりに越谷に帰るというのに会って遊んだのが土屋みやびだけだったのは、小春にとっての本当の友達が土屋みやびだけで、その他の失礼なことを言ってくる連中とはもう関わりたくないと心の何処かで思っていたからなのかもしれません。

ひよりお姉さんは何が悪いのか

ところで、ひよりはなぜモテるのでしょうか?8巻ではズバリ「ひよりちゃんが悪いんだもん…」と非難されています。そして続く独白では「まっすぐで 優しくて 甘えすぎてしまいそう 私と同じ境遇で 私と同じ歳の 女の子 近づきすぎたら 嫌われるかも でも もうちょっとだけ」と言っています。このセリフにひよりお姉さんの悪さがすべて詰まっています。ひよりの悪さは次の3点に分類できます。

①まっすぐ

ひよりはまっすぐです。「ひよりちゃんの言葉はいつもまっすぐ」で、言葉にはウソやごまかしが無く、ひよりはいつでもストレートに自分の気持ちを表現しています。人見知りゆえに言いたいことを上手に言えないことも多いですが、人見知りなのに自分の気持ちを伝えようとする必死さが逆に小春や吉永恋や二葉には刺さるのです。

②甘えすぎてしまいそう

ひよりお姉さんは割とドジなので、わざとかと思うくらい飯を食べるたびにタレとかご飯粒とかタルタルソースとかを頬にくっつけては、ヒロイン連中に顔を拭かれています。しっかりしていそうで意外とダメなのが小春・吉永恋・二葉の姉ぶりたいトリオの世話をしたい欲をくすぐるのです。

そもそも、小春・吉永恋・二葉の3人には姉ぶりたい動機があります。小春は死んだ弟に対する負い目から良き姉として振る舞おうと考えていますし、吉永恋はバリキャリの母親と釣り中毒の父親のかわりに両親や弟の世話を日頃からしていて、そのことに少なくないやりがいを見出していますし、二葉も吉永恋と同じような状況なわけです。ひよりのちょっとしたドジさは、この3人の姉性本能みたいなものをちょうどよく刺激するのです。そして、深淵を覗いているときと同様に、自分がひよりを甘やかしているとき、ひよりも自分を甘やかしてきているのだと言えます。

③近づきすぎたら嫌われるかも

陰キャ特有のやつです。おれはそういうのにくわしいからわかるのです。陰キャは他人の好意に慣れておらず、接近してくる人間にはかならず裏があると思いこんでいるので、寄ってくる人間を無駄に警戒してしまいます。同時に、陰キャは自分ひとりの時間を大切にしたいので、他人と深く関わることで自分の時間が無くなることを恐れます。さらに陰キャは、好意の表現に慣れていないので、たとえば自分から相手を遊びに誘うことをあまりせず、好意を向けてくる相手に「避けられているのでは」「自分は相手を遊びに誘うけど、相手は自分を誘ってくれないからもしかしてそれほど自分のことが好きではないのでは」みたいな不安を与えてしまいがちです。

そういう条件が重なると、陰キャは「近づきすぎたら嫌われるかも」的な評価をされがちです。たとえば「ゆるキャン」の志摩リンが、実はなでしこのことが大好きなのに何故かなでしこを適当にあしらっている現象がそれです。なでしこもそのことを察しているからこそリンのソロキャンを邪魔しないわけです。「裏世界ピクニック」でも、鳥子が空魚に好意を抱いていて、空魚も鳥子のことを悪しからず思っているのに、グイグイ行こうとすると空魚が距離をとってくる姿勢に鳥子が困惑するシーンがあります。「やがて君になる」はこの現象の最も極端な例を描いています。自分に恋愛感情を向けてこない人間にしか恋愛感情を向けることのできない燈子先輩と、燈子先輩に恋愛感情を向けてしまったら詰んでしまうことを知っている小糸侑との恋愛を描いているのが「やがて君になる」なのです。グイグイ行く女と、相手のことが好きでありながらグイグイ来られると引いてしまう陰キャ女の組み合わせは、陰キャ百合アニメには定番の表現です。


そういうわけで、いま挙げたようなひよりの悪さを描いているのが、ひよりちゃんが悪いんだもん編なのです。ひよりの悪要素を描くのは、もちろん百合作品としておいしいからやっている部分も多分にあるんでしょうけど、よくよく考えるとストーリー上の必然性があります。

ひよりのまっすぐさは3人のピエロをどう救ったのか

スローループが特に重視しているのは、①まっすぐ の部分です。なんといってもスローループは家族を描いた作品です。家庭が崩壊していない限り、つまり健全な家族には、かならず健全なコミュニケーションがあります。これを描くために、ひよりのまっすぐな言葉がどうしても必要なのです。よく考えてみると、ひよりの女3人(小春、吉永恋、二葉)にはコミュニケーションがうまく行かずに悩んでいた経験があって、しかも全員がひよりによって悩みを解消されているのです。スローループは、ひよりのまっすぐさによって動いている話だと言っても過言ではありません。

小春の場合

小春は根がわがままなのに、家族の死以来、ピエロとして我慢を重ねて生きてきました。ムカつくことを言われても言い返せなかったり、本当はラーメンが食いたいのにうどんを食べる羽目になったりして、そうやって生きてきたのが小春です。

そこで現れたのが、ピエロ性をほとんど持たない女・ひよりです。ひよりが小春に対して言った「まっすぐ」な言葉は割といろいろありますが、代表的なのは第一次小春ピエロ編であるところの3巻で小春が風邪で寝込んだときの「ねえ小春 つらい時は弱音吐いていいし 悲しい時は泣いていいよ」でしょう。このセリフは、つらい時は弱音を吐いてはいけないと思い込んでいる小春の胸に突き刺さったようで、その後の6巻でも小春はこのシーンを回想しています。

そういうわけで小春は、ひよりのまっすぐさに何度も脳を破壊された結果として、少しずつピエロを卒業していくことができたのです。

一方のひよりは、「海は変わらないでいてくれるのにな」みたいなセリフに代表されるように、実の父親がいない生活に慣れることができず変化を拒んでいた状態で登場しました。ところが、1巻で「とても変わった女の子」である小春との交流を通して、変わることも悪くないと思うようになります。スローループはフライフィッシングの漫画であると同時に、ひよりが変化を受け入れて、父親に教わったフライ以外の釣りにも挑戦する漫画でもあります。小春がひよりに救済されている一方で、ひよりもまた小春に救済されているわけです。

吉永恋の場合

4巻までの吉永恋は、親が死んだやまひーに対して多大な負い目を感じた結果、無意味に自分を否定して苦しんでいました。負い目に感じていることは主に2つあります。ひとつは、山川家の再婚話を勝手にやまひーに話してしまったこと、もうひとつは、父親が死んで落ち込んでいるやまひーに対して声をかけることができず、親友になにもしてやれなかったことです。

この2つは、吉永恋とひよりの仲の良さを知っている我々の目線から考えると、気に病むような失敗ではないように思えます。再婚話を話してしまったことには、実のところ特に実害はなかったわけです。ひよりに対して声をかけることができなかったことについても、2巻をよく読んでみると、ひよりは「そばにいてくれるだけで支えになって」いたと捉えていることが判明するわけです。客観的に見れば吉永恋がひよりに対して負い目に感じることなど一つもありません。

ところが、家族の世話を通して考え方が歳不相応に大人びてしまっている吉永恋にとって、ちょっとした言動でひよりを傷つけてしまった(と吉永恋本人は思い込んでいる)ことは非常に手痛い失敗の経験なのです。

完璧なコミュニケーションをとろうとした結果、ちょっとしたミスを過剰に恐れてしまって、ついにはコミュニケーションを諦めてしまう現象は、実によくあります。皆様におかれましても、あのときああ言い返していれば論破できたのでは、とか考えてシャワー中にデカい声を出していることと存じます。そういう経験が積み重なることで、おれたちは少しずつコミュニケーションを諦めてしまうのです。

もちろん、完璧なコミュニケーションなどというものは、そもそも取る必要がありません。必要なのは、完璧でなくてもまっすぐなコミュニケーションなのですが、4巻までの吉永恋はそのことに気づいていないのです。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第4巻(株式会社芳文社,2021)p.172より引用

親が再婚することになったとき、「そういう気持ちを持っていい」かどうかわからずに悩んでいたひよりは、吉永恋が「おめでとうって言ってくれた」ことによって前を向けるようになりました。「そういう気持ちを持っていい」かどうかなんて、普通に考えて持っていいに決まっているのですが、不幸な目にあった人間にはそれがわかりません。大きな不幸に見舞われた人間は、自分だけが幸福になることに抵抗があるのが普通です。そういう状況のひよりは、吉永恋の打算の無い「おめでとう」の一言で前向きな気持になることができたのです。一方の吉永恋も、ひよりがわざわざ言葉にして話してくれたことで、自分がいままで負い目に感じてきた過去の言動が実はひよりの支えになっていたことを知ります。そのあたりを描いた話が4巻の「吉永恋救済編」です。

二葉の場合

二葉はと言えば、男子に混じって釣りをしているうちにクラスの女子からハブられてしまい、自分の趣味に自信が持てない状態で登場しました。

ぶっちゃけこういうのはよくあることです。おれはこういう言い方ってマジで嫌いなんですけど、この漫画自体も世間では「女子高生におっさんの趣味をやらせる漫画」とか言われているわけです。趣味に「おっさんの」も何も無いだろ、誰がどんな趣味をやってもいいし、趣味は誰のものでも無いだろ、とおれは思うんですが1、それはそうと釣りは大人の男性がやる趣味というイメージが根強いのも事実です。そしてそういう謎のバイアスによって自分の趣味に自信が持てず肩身の狭い思いをしている人は、世の中には割といるはずです。もう少し一般化して考えると、周りと違う言動をとって目立ってしまうことを恐れて、やりたいことをやれなくなってしまったり、言いたいことを言えなくなってしまう現象を描いているとも言えます。そう考えると、二葉もやはりピエロの一種だと捉えることが可能です。

で、そこにあらわれたのがひよりです。ひよりは持ち前のまっすぐな言葉で「釣りやってても…恥ずかしくなんかない…よ…」とめっちゃ恥ずかしそうに語りかけ、二葉を釣りに誘うのでした。このときのことを二葉は「あの頃の私は 自分が周りと違うことが すごくこわくて さみしかった」「だから あの時のひよりお姉さんの言葉が どれだけうれしかったか」と回想しています。二葉はひよりのまっすぐな言葉と、そしてひより自体のカッコよさによって、釣りという趣味に自信が持てるようになるのです。このあたりを描いたのが2巻の「福元二葉救済編」です。ひよりお姉さんのまっすぐさは女子小学生をも救うのです!


この通り、実はスローループは、ひよりが持ち前のまっすぐな言葉で3人のピエロを成敗する話なのです。ここで重要なのは、ひよりもまた人見知りというコミュニケーション上のハンデを背負っている点です。ひよりは自分の気持ちを伝えることが苦手ですが、3人とのふれあいを通じて、人見知りでありながらもまっすぐな言葉をかけることができるようになっていきます。3巻ではついに小春のことをお姉ちゃんと呼んでみるようにまでなりますが、そのとき何故か花火が炸裂し、ひよりの言葉は小春に届かなかったのでした。

言葉にしないと伝わらない

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第5巻(株式会社芳文社,2022)p.30より引用

スローループを構成している思想の一つに、言葉にしないと伝わらない、ってのがあります。たとえばこのシーンです。ひよりは小春が怒っていることには気づきますが、怒っている理由については的はずれな考察しか出来ていません。ひよりが出した結論は、「小春の誕生日なのに料理させてるし働かせすぎ」だから、でした。

正解は「プレゼントをくれなかったから」なので、ひよりの結論は実に的はずれです。小春とそこそこ長い間一緒に暮らしていて仲がいいように見えるひよりでも、何も言われなければ小春のことはてんでわからないのです。なにも言わなくても伝わるのはせいぜい喜怒哀楽と嘘と本当くらいで、それ以上のことは言葉にしないと決して伝わらないのがスローループの世界です。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第3巻(株式会社芳文社,2020)p.17より引用

このシーンで、海凪家の両親は小春たちに遠慮しているのか結婚指輪をつけていない、という話になったときも、結婚式をおこなって「結婚おめでとう」を言葉にして改めて伝えようという流れになるわけです。こういう、改めて言葉にすることで物事が解決する話は、スローループには何度も登場します。

スローループの世界の住人は、いつもフェイクのコミュニケーションばかりとっています。たとえばひよりは人見知りですし、中学時代の小春は孤独になるのが怖くてわがままを言いませんし、4巻までの吉永恋は人を傷つけたくなくて相手に踏み込んだことを言いませんし、初期の二葉は周りに嫌われることを恐れて自分の好きなことを表現できません。ところが、自分の気持ちを言葉にして伝えたときだけは、フェイクの霧がさーっと晴れて、真実が浮かび上がり、抱えていた悩みが突然解消するのです。

「ひよりちゃんが悪いんだもん編」でひよりのまっすぐさが何度も強調されるのは、スローループの世界においてはまっすぐなコミュニケーションこそが最も重要だからなのです。ひよりが悪役ムーブをかましまくって謎にモテてしまうのは、百合作品として美味しい描写だからというのはもちろんあるんでしょうけど、それ以上にストーリー上の必然性があるのです。

スローループは何を描いているのか

ところで、ひよりお姉さんはなぜまっすぐな気持ちを伝えることができるのでしょうか。答えは、釣りをやっているからです。

釣りには「釣れますか」という有名な定型句があります。おれたち現代人はよほどのことがなければ街で他人に話しかけませんが、釣りをしている最中は気軽に話しかけることができます。不思議なことに、釣りにはそういう、人間を素直な気持ちにさせる効果があります。ひよりも「海は変わらないでいてくれるのにな」とか、柄にもない恥ずかしいセリフを、しかし釣りをやっているときだけは漏らすことができるのです。釣りがそういう力を持っているのは、釣りが狩りの一種で、自然の中で魚を狩る行為に、人間のもっている本能に訴えかける力があるからに違いありません。

もともと家族は、力を合わせなければ生きていけません。家族で一緒に狩りをしたり、同じ食事をとったり、同じ場所で寝たりすることで家族の絆は深まっていくのです。

一緒に生活をするから家族になるのか、家族だから一緒に生活するのか、はたしてどちらなのでしょうか。これは非常に難しい問題で、考えて答えが出るようなものではありません。しかしスローループは、一緒に生活をするから家族になるのだと力強く主張しているのです。釣りとか、料理とか、キャンプとか、スローループで描かれているような要素を通じて、海凪家は少しずつ素直なコミュニケーションがとれるようになっていきます。もともとは「知らないおばさんと暮らしてる感じ」だと思っていた小春が、ついには新しい母親のことをお母さんと呼べるようになったのは、海凪家が一緒に釣りをして、同じ料理を食べて、同じ家で寝て、ときにはキャンプをしていたからにほかなりません。

釣りの持っている、家族をより家族らしくする力とか、素直でまっすぐな言葉をうながす力とか、そういいう不思議な魅力を描いているのがスローループという作品なのです。

そういうわけで、ひよりちゃんが悪いんだから編を描くことはスローループという作品を完成させる上で避けては通れないものです。

ところで、おれは非常に道徳的な人間なので、ひより・小春・吉永恋は3人でイチャつくべきだと思っていますし、二葉と藍子も2人でイチャつくべきだと思っています。ですから、「ひよりちゃんが悪いんだから編」でひよりが二葉と良い感じになっているのを見ると何やってんだお前と言いたくなります。しかしよくよく考えると、ひよりが持ち前の妹パワーを駆使して吉永恋や二葉と謎の姉妹プレイをする謎の展開には非常に大きなストーリー上の意義があります。

スローループにサザエさんは登場しない

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」みたいな有名な文句があります。要するに、幸福な家庭には欠損が無いから似通って見えるけど、不幸な家庭は様々な箇所を欠損しているのでどれも似ていないのだという主張です。

わりとそれっぽいことを言っているような気がする一方で、スローループで描かれる家族は、親が死のうが、弟が死のうが、「知らないおばさんと暮らしている感じ」だろうが、父親が釣り中毒だろうが、それぞれ違ったように幸福にみえます。

たとえば吉永恋は、釣り中毒の父親とバリキャリの母親にかわって家族の世話を焼き、しかもパーミットの店番までしています。不幸で深刻な事態として描かれることはありませんが、今風の言い方をすればヤングケアラーと呼ばれる人物が吉永恋です。その上、吉永父の釣り中毒は、最近ではかなりマシになってきているようであるものの、かなりえげつない描かれ方をしています。釣りに没頭してしまって出産が終わってから5時間経ってから病院に到着するとか、そのうえ娘に鯉と名付けようとするとか、幼い吉永恋を車に放置して何時間も釣りをするとか、どのエピソードも、フィクションであることを考慮してもなかなかドン引きなレベルです。

そして福元二葉も、家業の手伝いや怠惰な姉の世話に追われていて、吉永恋と同じような状況におかれています。二宮藍子も、やはり深刻な事態として描かれることは無いものの、中学受験のプレッシャーを感じて悩んでいたわけです。

スローループには、サザエさんみたいなわかりやすく想像しやすいような幸福な家庭は登場しません。どの家庭も、見方によってはそれなりに欠損をかかえた家庭として捉えることができます。ところが、どうでしょう。スローループに登場する家庭は、どれも違っているように見えますが、しかしどれも幸福な家庭のように見えます。

スローループは、イメージしやすい幸福な家庭とは似ていないながらも幸福な家庭を描くことで、親の再婚によって生まれた寄せ集めの家庭である海凪家が、それでも幸福になれることを間接的に描いているのです。

ひよりと小春も、仲はいいものの、われわれが想像しやすいようなわかりやすい「姉妹」の関係には、きっといつまで経ってもなりません。ひよりは小春のことを、気まぐれで一度「頼りにしているよ お姉ちゃん」と言ってみたきり二度とお姉ちゃんとは呼びませんし、小春もひよりのことを妹として可愛がりながらも、たとえば呼び捨てで「ひより」とか呼んでみたりはしないわけです。

©Maiko Uchino うちのまいこ『スローループ』第9巻(株式会社芳文社,2024)p.22より引用

9巻には、姉のことを名前で呼び捨てにしていると語る咲良が登場します。咲良の家庭はおそらく我々が想像するような姉妹らしい姉妹では無いのかもしれませんが、しかし咲良の姉妹に血がつながっているのもまた事実です。スローループは、不完全だけど幸福な家族の形を描くことで、再婚によってうまれた不完全な形の海凪家が、それでも幸福になれることを証明しているのです。そして同時に、不完全だけどきっと幸福な咲良姉妹の話をすることで、小春とひよりが、不完全ながらも幸福な姉妹であることを表現しているのです。

スローループでは、吉永恋がひよりと小春に対して姉として振る舞う姿が何度も描かれます。吉永恋は二人と同い年ですし、血もつながっていないわけですが、それでも姉のように振る舞っています。同時に、二葉はひよりのことを「ひよりお姉ちゃん」と呼んで慕って、姉妹のように振る舞います。ひよりの妹力が強いのでなんか年齢が逆転してひよりが妹で二葉が姉みたいに見えないこともないですが、どっちにしても姉妹のように見えることには代わりありません。

「ひよりちゃんが悪いんだから編」は、ひよりが別の家庭の人間である吉永恋や二葉に対して姉妹のように振る舞って謎の姉妹プレイを行う姿を描くことで、そういう組み合わせですら姉妹らしくなれるのだから、血のつながっていない不完全な姉妹であるひよりと小春もやはり幸福な姉妹になれるのだということを表現しているのです。スローループで不完全な家庭や不完全な姉妹が描写されるのは、同じく不完全な家庭である海凪家とその姉妹が、それでも疑いようがなく家族であり、姉妹であることを強調するためなのです。

スローループは全部の描写に意味があるぞ!

おれはスローループを読んでフライフィッシングをはじめたんですが、作中でも描かれているとおり、フライフィッシングは実に難しい釣りです。フライフィッシングにおいてもっとも重要なのは、キャスティングを適切に行うことで、ラインにタイトループと呼ばれるきれいな輪をつくることです。これが初心者のおれにはなかなか難しく、雑にキャスティングしてしまうと不完全なループしか作れず、狙ったところに毛鉤を飛ばせません。ラインの乱れは心の乱れです。それでも、てきとうにキャスティングをしてみれば、毛鉤はある程度遠くに飛んでいってくれます。そうなってくれると、釣れないにしてもある程度は釣りを楽しめるわけです。この漫画にはタイトループの反対で「スローループ」という名前が付けられていて、だからおれは、下手くそで不完全なキャスティングでものんびり楽しく釣りができればいいと思っています。

ということで、謎に唐突に始まった感のある「ひよりちゃんが悪いんだから編」で描かれるひよりの悪行の数々は、百合作品として美味しい描写だからというのはもちろんあるんでしょうけど、実際はストーリー上の必然性があって描かれていることなのです。

まあ、おれは非常に道徳的な人間なので、ひよりちゃんがいろんな女に(小学生にまで!)手を出している点について説教をしたい気持ちが無いといえばウソになるんですが、ストーリー上の必然性があって描かれているわけなので赦そうと思います。

冷静に考えると、スローループはめちゃくちゃ緻密に描かれためちゃくちゃ完成度の高い漫画なので、すべての描写にはストーリー上の必然性があります。

そういうわけでスローループ9巻までの感想でした。はやく10巻を出してほしいですね。今後どういう話になるのか気になるところです。はやく土屋みやび襲来編をやってほしいところです。

せろりんでした。

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